T.Kさん 内膜間質肉腫患者 女性 東京都(投稿2014年6月)
★病歴・治療歴
2013年
6月30日 下腹部に痛みがあり、救急病院を受診。宿直の先生から「卵巣がん」との診断をされたが、翌日婦人科の先生に「卵巣がんではなく子宮」との診断。
7月 2日 多摩総合医療センターの婦人科を受診。「子宮体がんのうたがい」とのことで、細胞診、組織診を受ける。がん細胞は検出されず、子宮筋腫か肉腫で肉腫の可能性が高いとの診断。詳しい診断は病理検査をしないとわからないと言われる。
8月12日 子宮、腫瘍摘出手術を受ける。
9月25日 未分化の子宮内膜間質肉腫と診断される。
10月22日 「誤診では!?」の望みをもって、旦那さんが調べてきてくれた、大阪府立成人病センターの高橋先生を受診したが希望は打ち砕かれ…..
11月11日 卵巣、リンパ郭清、大網切除の手術を受ける。
12月〜
2014年
2月 再発、転移が無かったので、経過観察。
3月 4日 再発が発見される。
3月15日 亀田京橋クリニックで高橋先生受診。再発決定。手術の為、新山手病院を紹介してもらう。
3月25日 新山手病院 H先生の外来受診。再手術が決まる。
3月31日 新山手病院で再手術を受ける。
5月 退院、術後2ヶ月のCT撮影予定。
★要望
キュアサルコーマの先生以外に頼れる医者がいない。 肉腫について勉強しようという意思のある医者が少なく、どの先生に相談してよいかわからない。 抗がん剤が効かない肉腫が多いがパソパニブに続く新薬がいつできるのか。 国立がんセンターなどに診察に行かれる人も多いかと思うが、情報を一括で管理して正しいデータや情報を提示してほしい。
再発・転移がいつ起こるのか、いつまで生きられるのか。 16年前に父を胃がんで亡くした母より先に死ぬわけにはいかない。そのためにもいい治療方法を知りたい。
以上
M.Mさん 平滑筋肉腫患者 女性 東京都(投稿2014年6月)
★病歴・治療歴
2010年
12月 T大学病院にて子宮筋腫摘出手術。子宮頸部と腫瘍の一部取り残しあり
2011年
1月 平滑筋肉腫と判明。残存腫瘍の手術は無理と言われる。癌研有明病院にセカンドオピニオン。 残存腫瘍はピンポン玉大
2月 癌研にて残存腫瘍と子宮頸部摘出手術。残存腫瘍は8cm強
3月~4月 GT療法 2クール
5月 大阪成人病センター高橋先生受診。腫瘍の解析をして頂く。pet-ct の結果、腹部再発判明。2.5cm×2cm
6月 癌研にて摘出手術
8月 腹部再々発 。肺にも多発転移。癌研では手術不適応、化学療法と言われるが腸閉塞のため排便困難が進む。新山手病院にて腹部腫瘍摘出手術
10月 岡山大学病院にて両肺の腫瘍摘出手術。腹部再々再発。7~8個。大きいものは6cm大
11月 新山手病院にて摘出手術。85%は摘出出来たとの事。その時に人工肛門、右尿管にステント留置。術後、残存腫瘍が増大。肺、肝臓にも多発転移
12月 新山手病院にて化学療法。
2012年
~ 4月 化学療法6クール。 アドリアシン+ シスプラチンを低用量で
5月 新山手病院にて アムノレイクの治験始める
2013年
1月 右肺に転移1つ。1.5cm。岡山大学病院にて摘出手術
3月 右肺に転移2つ。5cm。1月の手術傷跡右脇腹に転移。2つ。2cm。肺の方は胸膜にそって裾野を広げてへばり付いているので手術不適応と言われる
4月~6月 化学療法4クール。アドリアシン+シスプラチン
8月 ヴォトリエント服用開始
★要望
● 高橋先生の標的遺伝子療法が早く受けられるようになること。
● どこの病院でも患者が希望すれば高橋先生と連携した治療が受けられると良い。
以上
K.Sさん 平滑筋肉腫患者 女性 大阪府(投稿2014年6月)
★病歴・治療歴
2007年
2月 ドイツ在住中、太腿付け根に米粒大のしこりを認め、整形外科受診。異常認められず。
9月 日本帰国後、2cmに増大した為、枚方市民病院にて細胞診。 結果は良性。
2008年
9月 腫瘤増大。再度の細胞針を依頼するが必要なしと診断。
2009年
7月 2年半で4㎝に増大。悪性リンパ腫の疑いで佐藤病院にて摘出。病理検査で「平滑筋肉腫」と診断される。
8月 京都大学病院へ転院。再度の病理解析と原発巣確定、転移の有無の検査の為、皮膚科、婦人科、整形外科、肝胆膵外科受診。 結果、肝臓多発転移の為、手術適応外となる。「有効な治療方法が確立されておらず、転移後の予後は大変悪いと言わざるを得ない。余命3か月位だろう」と告げられる。
インターネット検索で大阪成人病センターの高橋医師の存在を知り、医療機関を通さず、解析を依頼する。解析の結果、悪性度が高い為、肉腫の肝臓ラジオ波焼灼療法の 症例数が多い小池医師を紹介される。 1週間後 関東中央病院にて4㎝×13個の肉腫ラジオ波焼灼。
9月 高橋医師から、経過観察する余裕がないので、アメリカMDアンダーソン病院で奏功しているGT療法(ジェムザールと タキソテール)の症例数が多い岡山大学病院の松岡医師を紹介される。岡山大学の画像検査で膵臓、肺、臀部への転移が確認される。
10月 GT療法開始
11月 副作用に耐えられず2.5クールで自ら治療を中止する。
2010年
1月 国立がんセンター中央病院にて、血管新生阻害剤の治験参加
4月 肝臓多発増殖により、治験中止。関東中央病院にて1㎝×15個の肝臓ラジオ波焼灼。
5月 岡山大学病院にて、GT療法再開
2013年
2月 副作用の為、タキソテールの投与を中止し、ジェムザール単剤投与に変更。
2014年
2月 MRI検査で肝臓の3分の2が肉腫になっているのが 確認された為、タキソテール投与再開。
3月 京都医療センターのホスピス外来受診
2014年
6月 約4年間で64クール(投与数105回)の抗がん剤投与。増殖、現状維持を繰り返しながら延命治療継続中。現在に至る。
★要望
病名確定当初の5年前、日本のトップクラスのがん拠点病院の医師から、「有効な治療法が確立されておらず、転移後の予後は極めて悪い」と頭を抱えられた時には、頭が真っ白になるというのはこういう状態なのだと初めて経験をしました。 夫の転勤で双子を含む男の子3人と共に、14年間の海外生活からようやく日本に戻り、 自分のやりたい仕事を始めた矢先のことでした。 私自身、16歳で父親が急死しており、親の早すぎる死が子供の成長にどれほど影響を 及ぼすかという事は身をもって知っています。 当時、高校1年生と小学6年生の双子に同じ悲しみ味あわせると思うと、母親失格の烙印を 押されたような気にもなりました。 情報を得れば得るほど、「死」と隣り合わせの状況である事は否定できず、「死」への準備に追われる毎日を過ごす様になりました。 例えば、残された家族が遺品の整理に追われないように、私のいない空間に少しでも早く慣れるようにと、衣類を初めとする身の回りの物、結婚指輪も全て処分しました。
頭の片方では余命宣告を受け入れたつもりでも、もう片方では、そんな簡単に自分の寿命の短さを受け入れてたまるものかという、相反する気持ちでこの5年間を生きているような気がします。 岡山大学の松岡医師は外科医であると同時にがん緩和医療の専門家です。 抗がん剤を開始する際に「完治する病気ではないので、延命です。自分の一番やりたいことを考えてみてください」とアドバイスされました。 私の望みはただ一つだけ、子供が成人するまで成長を見守り、手助けしてやることなのです。彼らの楽しい青春時代を私の心配だけで終わらせたくない。そんな、当たり前の親の思いすら奪ってしまうのが、成人の軟部肉腫です。
創薬には、莫大なお金と時間がかかると聞いています。 患者数の少ない成人の軟部肉腫に特化した新薬の開発が難しいのであれば、既存薬で成人の軟部肉腫治療に有効な薬を探す研究をして欲しいと望んでいます。
晩婚化が進む中、50代女性が多い軟部肉腫患者の子供達は、成人する前に母親を亡くすことになる事になり、今後も伸び続ける可能性のある平均寿命まで、悲しみを抱えながら、30数年の年月を孤独に生きていかなければならない残された伴侶達がいる事を、もっと 世間の人達に知って欲しいと切に願っています。
以上
Y.Oさん 平滑筋肉腫患者 女性 神奈川県(投稿2014年6月)
★病歴・治療歴
2007年(平成19年) 51歳
6月26日 手術 8:45~17:50
子宮筋腫の手術の予定。しかし、限りなくグレーゾーンということで子宮と卵巣も切除。病理結果は平滑筋肉腫だった。
20㎝大の腫瘍。腹膜・ダグラス窩に転移あり
輸血12800~15800CC(先生によってまちまちだった)
手術前の自己採血は1400CC(普通の患者さんは700CC)
この時、主治医が急遽手術時間を午後の予定から、朝一番に変更して下さったことで、なくしていたかもしれない命を救われることになった。主治医の優れた危機回避能力と手腕が間違いなく私を生かしてくださったと思う。
この日、朝一番の手術だったのが幸いして、主治医は川崎中の血液センターから+A抗体の血液を集めることができ、しかも手の空いている先生方が協力して、輸血の袋から絞って私の血管に入れて下さったと聞いている。それくらいの大量出血をしたとのこと。
ICUで目が覚めたら、体中の血管に管が挿入されていて、人工呼吸のため声も出せず、目だけが唯一自由に動かせたので、家族との会話は目をぱちぱちさせてyesかnoで意思疎通をした。手術中に家族を呼び寄せるように言われて、妹達が鹿児島より上京。
麻酔の先生が、顔面が血の気を失って、土色になっていくのを見て、「私のこの腕の中でこの患者さんは死ぬんだと思った。本当に助かって良かった」と、号泣して話してくださった。
しかし、この時主治医から、生存できるのは2年くらいと言われる。好きなことをして生きるようにと優しく言って頂く。
7月12日 退院
9月 7日 高橋先生に腫瘍の解析を依頼
11月より BCG樹状細胞療法開始
2008年(平成20年)
1月25日 PET-CT検査 1.5㎝×1.5㎝ 再発
・・・・・・・・・・・・術後7ヶ月で再発
9月 3日 大学病院にて MRI検査。
10月 2日 2㎝×3㎝ 痛みも出てきたので、手術してくださることになる。
28日 再発手術 手術時間8時間
小腸と大腸の間に4㎝大の腫瘍あり。
1.S状結腸切除
2.小腸切除
3.腹腔内の腫瘍らしきものも切除
2009年(平成21年)53歳
4月28日 PET-CT検査・・・・・18.4㎜ 再々発
腫瘍は合計3個
6ヶ月で再々発。
5月 9日 キュアサルコーマセミナーインkyoto
高橋先生に四ッ谷キューブで撮ったPET-CTの画像を診て頂く。
先生は3つのうちの1個だけが肉腫ではないかと診断!
複数個だと手術できないため、これは大変大事な診断だった。
7月 7日 再々発手術 13:00~16:00頃まで
2.5㎝×1㎝ 膀胱の上にかさなるように2個あった。
肉腫は2個。そのほかの2個は石灰化したものだった。
恥骨を少し薄く削るが問題はないとのこと。
14日 血栓予防の注射終了。しかし、胃がきりきり痛む。
15日 感染症。CRP(炎症値) 9.2 (通常は0.3)
18日 退院
31日 感染症にて再入院
8月12日 退院
10月22日 PET-CT おへその右に12㎜が1個 3ヶ月で再々再発
12月 1日 再々再発手術 おへその右側 腸間膜に1個 19㎜
12月 6日 退院
その後、2014年 3月までNED 再発なし。
2014年 3月24日 PET-CT検査 再発の疑いあり。
4月 3日 造影CTにて回腸に2㎝弱。再発
4月12日 高橋先生受診。間違いなく再発との診断
4月22日 再々再再発手術 5回目の手術
13:00~15:30
小腸とS状結腸が癒着している間にあったので両腸を切除して縫合
全体的に癒着がひどく、手術は2時間かかったが、手術自体は短く、癒着の処理に手間取った。
今回は腸閉塞が恐いとのことで、漢方とマグミットを処方される。
以上