K.Sさん 平滑筋肉腫患者 女性 大阪府(投稿2014年6月)


★病歴・治療歴

2007年
2月 ドイツ在住中、太腿付け根に米粒大のしこりを認め、整形外科受診。異常認められず。
9月 日本帰国後、2cmに増大した為、枚方市民病院にて細胞診。  結果は良性。
2008年
9月 腫瘤増大。再度の細胞針を依頼するが必要なしと診断。
2009年
7月 2年半で4㎝に増大。悪性リンパ腫の疑いで佐藤病院にて摘出。病理検査で「平滑筋肉腫」と診断される。
8月 京都大学病院へ転院。再度の病理解析と原発巣確定、転移の有無の検査の為、皮膚科、婦人科、整形外科、肝胆膵外科受診。 結果、肝臓多発転移の為、手術適応外となる。「有効な治療方法が確立されておらず、転移後の予後は大変悪いと言わざるを得ない。余命3か月位だろう」と告げられる。
インターネット検索で大阪成人病センターの高橋医師の存在を知り、医療機関を通さず、解析を依頼する。解析の結果、悪性度が高い為、肉腫の肝臓ラジオ波焼灼療法の 症例数が多い小池医師を紹介される。 1週間後 関東中央病院にて4㎝×13個の肉腫ラジオ波焼灼。
9月 高橋医師から、経過観察する余裕がないので、アメリカMDアンダーソン病院で奏功しているGT療法(ジェムザールと タキソテール)の症例数が多い岡山大学病院の松岡医師を紹介される。岡山大学の画像検査で膵臓、肺、臀部への転移が確認される。
10月 GT療法開始
11月 副作用に耐えられず2.5クールで自ら治療を中止する。
2010年
1月 国立がんセンター中央病院にて、血管新生阻害剤の治験参加
4月 肝臓多発増殖により、治験中止。関東中央病院にて1㎝×15個の肝臓ラジオ波焼灼。
5月 岡山大学病院にて、GT療法再開
2013年
2月 副作用の為、タキソテールの投与を中止し、ジェムザール単剤投与に変更。
2014年
2月 MRI検査で肝臓の3分の2が肉腫になっているのが 確認された為、タキソテール投与再開。
3月 京都医療センターのホスピス外来受診
2014年
6月 約4年間で64クール(投与数105回)の抗がん剤投与。増殖、現状維持を繰り返しながら延命治療継続中。現在に至る。


★要望

病名確定当初の5年前、日本のトップクラスのがん拠点病院の医師から、「有効な治療法が確立されておらず、転移後の予後は極めて悪い」と頭を抱えられた時には、頭が真っ白になるというのはこういう状態なのだと初めて経験をしました。 夫の転勤で双子を含む男の子3人と共に、14年間の海外生活からようやく日本に戻り、 自分のやりたい仕事を始めた矢先のことでした。 私自身、16歳で父親が急死しており、親の早すぎる死が子供の成長にどれほど影響を 及ぼすかという事は身をもって知っています。 当時、高校1年生と小学6年生の双子に同じ悲しみ味あわせると思うと、母親失格の烙印を 押されたような気にもなりました。 情報を得れば得るほど、「死」と隣り合わせの状況である事は否定できず、「死」への準備に追われる毎日を過ごす様になりました。 例えば、残された家族が遺品の整理に追われないように、私のいない空間に少しでも早く慣れるようにと、衣類を初めとする身の回りの物、結婚指輪も全て処分しました。

頭の片方では余命宣告を受け入れたつもりでも、もう片方では、そんな簡単に自分の寿命の短さを受け入れてたまるものかという、相反する気持ちでこの5年間を生きているような気がします。 岡山大学の松岡医師は外科医であると同時にがん緩和医療の専門家です。 抗がん剤を開始する際に「完治する病気ではないので、延命です。自分の一番やりたいことを考えてみてください」とアドバイスされました。 私の望みはただ一つだけ、子供が成人するまで成長を見守り、手助けしてやることなのです。彼らの楽しい青春時代を私の心配だけで終わらせたくない。そんな、当たり前の親の思いすら奪ってしまうのが、成人の軟部肉腫です。

創薬には、莫大なお金と時間がかかると聞いています。 患者数の少ない成人の軟部肉腫に特化した新薬の開発が難しいのであれば、既存薬で成人の軟部肉腫治療に有効な薬を探す研究をして欲しいと望んでいます。

晩婚化が進む中、50代女性が多い軟部肉腫患者の子供達は、成人する前に母親を亡くすことになる事になり、今後も伸び続ける可能性のある平均寿命まで、悲しみを抱えながら、30数年の年月を孤独に生きていかなければならない残された伴侶達がいる事を、もっと 世間の人達に知って欲しいと切に願っています。

以上