家アイコン 肉腫の標的遺伝子療法を推進する会「キュアサルコーマ」> 追悼メッセージ




kyonさんを悼む 〜日本の肉腫医療に新しい扉を開いたひと〜



大阪府立成人病センター内科(肉腫)、研究所病態生理学部門部長 高橋克仁
(肉腫中皮腫先端治療研究センター・SMTRC医学系代表)

大阪府立成人病センター研究所病態生理学部門主任研究員 山村倫子
(肉腫中皮腫先端治療研究センター・SMTRC薬学系代表)



 昨日、9月5日にkyonさんが亡くなった。享年34歳。2004年7月の平滑筋肉腫の再発以来5年間肉腫と

闘った。最期は、家族と愛犬に見守られた家庭での療養を選んだ。kyonさんらしい選択である。

 米国の国立アーリントン墓地に、ジョン・F・ケネディ大統領の弟、ロバート・F・ケネディが眠っ
いる。その墓の前にある水槽には、水滴が垂らされ、水面にはその波紋が広がる。“小さな水の波紋
静かに広がっていくように、一人が勇気と信念を持って立ち上がった時、その希望は多くの人に伝播
し、やがては大きなうねりになる”という彼の信条を示しているという。日本の肉腫医療の現状に最も
大きく崇高な一石を投じ、多くの患者さんに希望を与えた人を今一人あげるとすれば、kyonさんをおい
て他にいないと思う。

 kyonさんは、2005年3月に私たちの内科外来を受診された最初の肉腫患者さんであった。kyonさんの
ブログや新聞でご存知の通り、既に肺や肝臓に多くの転移をかかえ、当時の非整形外科の担当医の常識か
らすると「お手上げ」の状態であった。kyonさんと実家のある岡山市の岡山大学肝胆膵外科の八木孝
先生のグループと私たち、そして関東中央病院消化器内科の肝臓ラジオ波治療の小池幸宏先生のグループ
とで相談を重ね、優先順位を決めて手術とラジオ波で局所制御を行った。腫瘍の切除標本を分析し、同年
12月より、岡山大学第一外科の松岡順治先生(現がん生存学・緩和医療学教授)のグループにより、全身
治療として、当時はまだ国内ではほとんど実施されていなかったジェムザールとタキソテールによる化学
療法を開始した。化学療法は奏功し、ほとんどの転移腫瘍は消えるか小さくなった。

 kyonさんは、東京在住のkiaraさんご夫妻とGIST患者さんのホームページを立ち上げたSumitoさん、
友人のSHIN16さんとともに肉腫患者さんのグループ “CureSarcoma(キュアサルコーマ)”を設立し
た。このグループは、従来の患者会とは異なり、一つのミッションを掲げた。私たちが進めていた肉腫
の新治療薬(標的遺伝子療法)の開発を推進し、ブログを通じて肉腫患者さんに情報発信することで
あった。キュアサルコーマは、2005年12月私たちが申請した肉腫治療の新薬開発のための厚生労働科
学研究費補助金の採択を支援するために10万人を超える署名を集め、厚生労働大臣に提出した。2006
年3月、課題は採択され、今年の3月までに研究は進んだ。2006年11月には、キュアサルコーマで集め
た寄付金を標的遺伝子療法の推進と肉腫患者さんの支援のために私たちが設立した団体SMTRCに寄付し
ていただいた。この寄付金は、主に、ウイルス医薬品を製造するための鍵となる細胞の安全性を評価す
る米国での生物学的評価試験の費用の一部に充当された。また、私たちの標的遺伝子療法が中皮種にも
有効で、かつて石綿を多く使ったクボタ社から医療支援の研究助成をうけることが決まった時、kyonさ
んは一人の肉腫患者として、研究助成に感謝する旨の手紙を当時のクボタの社長さんに送った。手紙を
読んで感動したクボタの担当者からこのことを知った。

 これらのSMTRCへの支援によって、大阪府立成人病センターの私たちのグループが進める肉腫内科
外来での肉腫やGIST患者さんの腫瘍標本を無償で解析することが可能になった。2007年10月から
2009年8月までの実績で、kyonさんからはじまった私たちの内科(肉腫)を受診される紹介患者さん
の数は189人に達した。紹介元の診療科の93%は非整形外科領域(外科35%、婦人科32%、腫瘍内科
17%、泌尿器科7%、整形外科7%、耳鼻咽喉科2%)で、92%が転移・再発例である。国外も含め全
国31の都道府県の34の大学病院、12のがんセンターを含む116病院から紹介を受けた。外来では、多
くの患者さんとご家族が、キュアサルコーマとkyonさんから希望をもらったと話した。

 この肉腫内科外来を中心にした地域を越えた外科医、内科医、腫瘍内科医、放射線科医、婦人科医、
整形外科医の治療連携により、これまで、転移・再発すると、多くは専門的な治療を受けることができ
なかった非整形外科領域の肉腫患者さんの医療が動き始めた。日本の肉腫医療において、新しい扉が開かれ
新しい流れがはじまろうとしている。私たちはその延長線上に肉腫の診断・治療・研究の拠点病院(サル
コーマセンター)があると考えている。米国MDアンダーソンがんセンターのサルコーマセンターの統計
では、非整形外科領域の肉腫患者さんは肉腫全体の過半数を占めている。日本で1年間に発症する肉腫
患者さんの数は正確な統計はないが、成人で8000〜10000人、小児で500〜600人と推定されてい
る。

 2007年7月に私たちが主催したサルコーマセミナーin 白川郷で、kyonさんは米国の肉腫患者さんの
団体であるLiddy Shriver Sarcoma Initiativeの Bruce Shriverさんからビデオ「忘れられたガン」の
紹介を受けた。それを日本語に翻訳した京都大学の整形外科医戸口田淳也先生とも親しく話し、肉腫を
「忘れられたガン」でなくすことをめざしてキュアサルコーマのホームページに掲載した。

 2009年5月のサルコーマセミナーin 京都湯の花郷で、肉腫患者さんやそのご家族を前に話していた
だいた“キュアサルコーマ設立より”の講演がkyonさんとお会いした最後となった。kyonさんは、敬愛
して止まなかったキュアサルコーマのもう一人の設立者であるkiaraさんとの思い出を嬉しそうに語って
くれた。kyonさんの体調を考えれば、この日がぎりぎりの日程であったと思う。kyonさんは、抗がん剤
による化学療法を続けることに越え難い限界を感じていた。

 kyonさんが最も望んだ標的遺伝子療法の臨床試験の開始をかなえることができなかったことは、私た
ちにとっては痛恨の極みである。平滑筋肉腫を対象にした試験薬の開発は進み、先月には、医薬品とし
ての均質な製造に向け、技術面での大きな山を越えた。kyonさんは、私たちの研究室を何度も見学し研
究の進捗状況を尋ねた。「同じ肉腫を患うみんなのために」という言葉を何度も耳にした。kyonさんの
勇気と信念と希望を引き継いで、私たちはキュアサルコーマとともに患者さんへの新たな情報発信を続
けていかなければならないと思う。

 これまで、治療を担当された、松岡先生とグループの先生方、小池先生とグループの先生方、在宅ケア
を担当された主治医の先生に深い敬意を表するとともに、kyonさんを支えたご主人、ご親族の皆様方に
お悔やみを申し上げます。kyonさんのご冥福を心からお祈り申し上げます。



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